なじら~NEWS

長岡の誇りを取りもどそう!

卒業、満開の桜と二宮金次郎像

ご卒業おめでとうございます。
春は始まりの季節と同時に、卒業に代表される別れの季節です。

今春、ご卒業された若い人たちは、新しく開けてくる未来へ、期待と不安の入り混じった気持ちを胸にしていることでしょう。

共に過ごした友との別れを惜しむ感情も、また少なくないことでしょう。

 

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写真家 阿部和剛氏の阿波徳島川島町の写真より

さて、私たちが卒業したころの学校の校庭には、二宮金次郎の像があったものです。

寸暇を惜しんで勉学に励んだ金次郎は、長じて二宮尊徳となり、多くの諸藩の財政を建て直しました。

 

※注1)二宮尊徳翁の教えは報徳仕法として至誠・勤労・分度・推譲の四つにまとめられています。(分度とは、経済面での自分の実力を知り、それに応じて生活の限度を定めること。推譲とは、自分が仕事をして得たものを将来や社会に譲る心を持つこと。)

 

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新潟県長岡市 下山神社の二宮金次郎

明治の文豪 幸田露伴は、二宮尊徳翁の一生を、伝記「二宮尊徳翁」にまとめられ、その思想を「努力論」の中で、福を育て繁栄に導く三つの心がけとして提唱されました。それが、惜福 分福 植福の「幸福三説」です。

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長岡市中之島のひょうたん絵師の作品より

この三福説ともいわれる惜福 分福 植福は、東京帝国大学教授 故本多静六先生や、近年では一昨年逝去されました上智大学名誉教授 渡部昇一先生が著書や対談で紹介され、広く世に広まりました。

余談ですが、将棋界の故米長邦雄永世棋聖は揮毫(きごう)を頼まれるとよく「惜福」と書かれていました。これは生前の渡部昇一先生と対談した際に、50歳を前に名人位のタイトルを取れたことに喜び過ぎず、感謝して福を惜しむこと気持ちを表したものと思われます。


※注2)惜福(せきふく)= 福を使いつくし取りつくしてしまわないこと。

自分の持っている幸福を全部使い尽くしたり、取り尽くしたりせずに、全て八分目に抑制することをいう。いかなる幸福も控えめに抑制することである。そして、この惜福の工夫を積んだ人は、不思議にもまた大きな福に会うものだ。


 分福(ぶんぷく)= 自分の得た幸福を分けること。   
自分の得た幸福を他人に分けるもので、普通はお福分けと言い、直接他人の幸福を増進するものだが、それがまた、間接に自分の幸福の増進にもなるのである。


 植福(しょくふく)= 幸福を将来にわたって増やすこと。
自分の福を植えることであると同時に、社会の福を植えることに当たる。
自分の得た幸福をさらに増殖させ、樹を植えるように将来の社会においても幸福を収穫できるようにすること。これに対して惜福と分福は今ある福の処分にかかわる心がけである。

 

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七福神のひょうたん

今年の春卒業を迎えられた人たちの未来が明るく開け、将来に福多かれと願いますとともに、はなむけとして惜福 分福 植福の言葉をお贈りしたいと思います。

進学される方、社会人となられる方、それぞれの道で頑張っていただきたいです。

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 さて、私もホワイトデーで頂いたチョコレートを分福することといたしましょう。